さよならが苦手だ

だいすきだったバンドが解散する

 

と知ったときに思ったのはかなしいとかさみしいとかはもちろん当たり前なんだけど

 

「あ、これでみんな楽になれるんだ」

と思った。わたしは。勝手に(←重要!)。

 

自分に関しては

もうかなり気持ちの盛り上がりとしては落ち着いていて、あまりよくない言い方をすると、こういうところが嫌だな、という部分がかなり侵食していたので、でも、それでも好きな気持ちとか応援したい気持ちとか、情みたいなのもあって、本当はすきでいたいのにな、好きでいられたら楽しいんだろうな、みたいなところもあって。

 

あ、終わるんだ、ってなって

 

やっともういいんだな、活動を物理的にも金銭的にも応援できてない自分に対してもやっとしなくていいんだなって、正直思ってしまった

 

なんならさ、ほんとは、あの、活動休止を発表した、あのときに、もう終わってたっていうか、「そうか、お疲れ様、がんばったね、がんばったよ、いままで本当にありがとう」っていう感情になったから、覚悟があったから、なんていうのかなぁ、感情のブレはあのときがマックスだったっていうかなんというか。

 

失礼な話だなあと本当に思う

 

でも思ってしまった、途中の方から、メンバーもファンも、苦しいのが見えてた、苦しいように見えてた。勝手にね!

 

必死で頑張っているのも分かってたけど、ちがうな、ちがうんだよな、でもちがうなんてことをこちらがわが言うのも違うんだよな、みたいな、そういうことをお互いが思っていて、すれ違いが起きてるんじゃないかな?って。(全部妄想!)

 

実際直接の理由はそういうことではなくて六人でなくなるなら解散。ということだけど。

 

でも、そういうのから解放されるんだ。ってなった。

 

彼が続けたかったのは本当に本当に本当で、彼らが続けたかったのも本当に本当に本当に本当だと思うんだけど、続けたかったからこそ、みんな凄く辛かったんだろうなって。

 

夢とかいうキラキラしたものを追うには辛いことを乗り越えないといけないと思うけど、それは美しいことかもしれないけど、すごい、すごく辛いことなんだろうって思ってて、大好きな彼や彼らが辛いことからとりあえずいったんは離れられるってことなんだ、って、

 

安心してしまった。

 

もうめちゃめちゃ失礼って分かるけど、そう思ってしまった

 

もっと通っておけば、とかそういう後悔はない。行きすぎてたってくらい行ってたし、できる限り推した。楽しかったもんほんとにぜんぶ。

 

ブルビリという存在がくれた愛的な何かは、もしかしたら愛みたいな形をしただけのからっぽの入れ物だったのかもしれないけれど

 

その入れ物をくれたから、私は、なんの形も持たなかった気持ちというフワフワトロトロしたものをちゃんと形にして確かめることができて、誰かに見せたりもできるしあげられることもできるって知ることができたなぁと思うよ。ポエミー!

 

 

 

 

この文によって何かを否定したいわけじゃないのだ

 

かなしいとか、さみしいとか、

前は通ってたけど今は行ってなかったとか、昔こんなにだいすきだったよとか、今は通ってないのに突然いなくなるとなったらすきの証明をはじめる人達に違和感を感じたりとか、いやだなんでいなくならないでとか、どうやって生きていけばいいとか、

 

そういう、「大切なお知らせ」によって起こる感情たちは全て大切な感情だとわたしは思うから、否定する感情すらも否定したくないなぁとは思っているから、まあだからなんだよって話ですが

 

なんか自分が思ったことをとりあえず書いておきたかったそれだけなのだけど長すぎてひいた