いきるのが困難だ

いきづらい

普通の人ができることができない

普通の人ってなにかわからんけど

 

友達のこともすきだし別になにもできない訳じゃない、わたしよりも「生活」が困難な人はたくさんいる

 

今日、両手に杖をもったおじいさんがひざをついていたので、大丈夫ですか?と声をかけたら、「ああ、大丈夫」といったあとに、「だれだ、点字ブロックの上にバイクを置いたやつは!?」と怒りのこもった声でおじいさんは叫んだ

 

わたしはなぜかこわくなってそそくさと頭を下げてその場を去ってしまった

 

すぐ後悔した、おじいさんの悲しかったこと、怒れてしまった感情を一瞬でも受け取ってあげられたのはあの場できっとわたしだけだったのに

 

若いカップル、会社帰りのスーツのサラリーマン、よっぱらい、カラオケのキャッチ、バーに向かう外国のお兄さん、喫煙所を目指しながらたばこに火を着けたお姉さん、スケボーの少年、工事現場のおじさん、

 

たくさんのひとがいたけど、おじいさんは不特定多数に言ったのではなく、大丈夫ですか?と声をかけてきた人間にただどうしようもない愚痴のひとつをこぼしたかっただけだったろうに

 

そうですよね。危ないですね。と返してあげることがなぜできなかったのか

 

 

 

みたいなことをずーーーーっとひきずってしまう

 

 

誰かの為に生きるとか夢を追いかけるとか日常の幸せを大切にするとかそういうなんていうかステキナヒトになれないならばせめてそういうときくらいは、そういう小さなっていうか、見過ごされそうになってしまう悲しいとか苦しいとかやるせないとか辛いとか憤りとかに寄り添える人でくらいはいたいのに

 

理想と現実っていうか、私のなりたい自分はそんなに立派なものでもないはずなのにそんなことさえも満足にいかなくてしんどい、勝手に

 

当たり前にできなきゃいけないことができないのならせめてちょっとだけ人と違うことができればいいのにそういう特別すらもつくることができない

 

できないことが鮮明に大量に見える

わたしってなにかできることあるか?

 

ありがちな表現だけど、同い年や、年下の、キラキラした夢や、目標が花開いていく様子を見るのが苦しい

彼ら彼女らが考え、思考して、工夫して、努力をして美しい汗を流している間に、私は何してた?間違えて、からまわって、絶望して、生産性のない、せっかくいただいたものを吐くような、まるで吐瀉物みたいな涙という名前がついたものを流して自分がまるで被害者でしかないように酔っていたんじゃないの?

 

いまだってそうだ、こうやって汚い感情をげろみたいにぶちまけてあーあって見ながら憂いのようなものを帯びてる自分に酔ってる、そう、酔っぱらいの文ですね、これは

 

 

追記

ほんとまじで傲慢、わたしみたいなのが唯一の存在であるといいたくてしょうがないのが伝わってきますね