しってること

わたしは案外しってる

 

助けてもらえる言葉はこの世にたくさんある

 

溢れてる

でもそれが見つけられなくてさよならするひともいる

 

つらいのは結局自分しだい

わたしが頑張らないと何も変わらない

 

頑張ったら褒めてもらえる社会だって分かってるけど頑張るのって難しくて難しくて悲しくなってくる

 

頑張りたいのにがんばれなくてつらい やだ きえたい なんて すごいありがちな言葉すぎて

わたしもそのへんの「なんか病んでる人」なんだなぁと思うと悲しい

 

私の「悲しい」がすごく崇高であってほしいという願いがある

 

私の悲しみが苦しみが消えたみがありふれたものじゃなくてとっても貴重であってほしいと願っている

 

それを肯定してくれる人だと「つくりあげた」ひとを勝手に心から愛せなくなってるし

 

この寄りかかりすぎてる状態の警鐘だとも思う

 

誰かに、誰かに、って思いすぎてしまう

 

わたしが!ぼくが!おれが!と言ってくれる人らがたくさんいるのだけど

そのひとらは素敵なのだけど

 

そのひとらをすてきだねと言えてる時分はすきだけど

 

ただそれだけでは何も私は変わらなくて

 

私自身がなにかどうにかならないときっとなんにもこのどうしようもない苦しさは分からなくて変わらなくて

 

そういうことか分かっているのに

もううまれてから25年たちそうで

 

この圧倒的惰性と高すぎる理想とどう戦えばいいのかずっと分からなくて苦しい